不動寺は、平安時代に弘法大師によって 開かれた由緒あるお寺です。 大阪市の古地図には、北区曽根崎兎我野町に その名が記されていますが、 現在の地である豊中に移転してから、 約60年の歳月が経ちました。 ぜひ一度、足を運んで その歴史と境内の美しさを直接ご覧くださいませ。
不動寺について
不動寺は、平安時代に弘法大師によって開かれました。 寺伝によると、大師が諸国巡業中兎我野の地(現在大阪市北区兎我野町)で七色の光を放つ石を見つけ、 これを五輪宝塔に仕上げ、不動明王の梵字を刻み本尊とし、不動堂を建て、お祀りをしたのが始まりとされています。その後、嵯峨天皇、後鳥羽天皇の勅願所となり、豊臣、徳川の庇護を受けながら「兎我野の不動様」として、 広く庶民の信仰を集めてきました。
近年、数度の戦乱にも遭遇し、特に第二次世界大戦の戦火では堂宇が全て焼失しました。その後、昭和二十五年には本堂を再建しましたが、 寺の周辺が歓楽街化するなど環境の悪化が深刻化し、古くから伝わる大護摩法も次第に行えなくなり、昭和四十一年に現在の所在地に移転いたしました。 現在、本堂脇にある木造の護摩堂や仁徳天皇が愛したという白鹿堂、第二次世界大戦の英霊を祀った英霊堂は、古い建物を解体して移転したものです。
不動寺のこれから
令和の時代、僧侶としてはもちろん、人として地域の一員として、どうお役に立てるかを見つめています。 身近な方をなくされた悲しみ、さみしさに向き合うとき、まずはご遺族の思いをそのまま受けとめ、お勤めさせていただくことを私たちは何よりも大切にしています。 より多くの方々の心のよりどころであるために。 これまでお寺とのつながりがない方も、どうぞ、お気軽にお問い合わせ、ご来寺ください。 また、本堂は冷暖房完備、椅子席、WiFi完備し、リモートでの対応もできます。 どのようなときも、私たちはあなたの話し相手でありたいと願っています。
お堂紹介
本堂
本尊 五大力不動明王
不動明王大日如来の化身 として、明王のなかでは最高の位を与えられ、正式名称は大日大聖不動明王といいます。 以下の明王が鎮座しております。 この五つを五大力不動明王と呼びます。 本堂のお前立ちとして、階段壁画に不動明王のお姿が描かれています。 平成7年、松本明慶工房にて解体修理。
降三世明王
阿閦如来の化身とされており、煩悩除去や悪魔退散などのご利益があります。
軍荼利明王
宝生如来の化身とされ、悪敵を退け、息災延命のご利益があります。
大威徳明王
阿弥陀如来の化身とされ、戦勝祈願のご利益があります。
金剛夜叉明王
不空成就の如来の化身とされ、無病息災のご利益があります。
愛染明王
男女の縁結び、恋愛成就のご利益があります。 平成12年、松本明慶工房により修復、彩色されました。
十一面観音菩薩
頭部に11の顔を持つ菩薩です。 平成10年、松本明慶工房により修復されました。
地蔵菩薩
水子や子供をお守りする菩薩様です。
阿弥陀如来
極楽浄土に導く仏様です。
弘法大師(松本明慶作)
松本明慶先生作による弘法大師空海のお姿です。
護摩堂
本尊 不動明王
不動明王は密教の本尊である大日如来の化身とされます。 平成20年、松本明慶作です。
神変大菩薩
修験道の開祖です。 平成13年松本明慶作です。
前鬼 後鬼
神変菩薩が従えていた夫婦の鬼です。 平成13年松本明慶作となっています。
聖天
大聖歓喜天を略 して聖天さんと呼ばれています。秘仏とされ、商売繁盛、金運を司ります。
理源大師
総本山醍醐寺開祖です。
観音堂
観音堂には、聖観音菩薩像を祀り、観音さまのお姿に合わせて、天井には60枚の手書きの花の絵が納められています。 脇の棚には、檀信徒のお位牌が安置され、ご先祖様の供養をしています。
本尊 聖観世音菩薩(松本明慶作)
人々を常に観ていて救いの声があれば、救済して下さる仏さまです。 平成27年松本明慶作となっています。
絵天井 松本明慶工房彩色部作
薔薇や紅葉、四季様々な絵が天井絵として飾られています。 平成27年松本明慶工房彩色部の作品です。
鎮守堂
龍神(りゅうじん) 【白鹿霊神お前立ち】
龍神のお姿は、角が鹿に似ており、頭は駱駝(らくだ)のようです。眼は鬼、または兎に似ており、身体は蛇のようです。腹は蜃、背中の鱗は鯉に似ています。爪は鷹、掌は虎、耳は牛に似ています。また、口の辺りに長い髭をたくわえ、喉の下には一尺四方の逆鱗があり、顎の下には宝珠を持っていると言われています。
白鹿霊神(はくしかれいじん) 【当山鎮守】
平安の昔、弘法大師が全国巡錫の折、兎我野(とがの)の地に錫を止め、不動明王を刻まれ当山を開基された、と伝承されています。 その折、仁徳天皇ゆかりの鹿が、大師の夢枕に立ち、「もし私を信ずる人がいるのなら、吉凶禍福の前兆を夢で示し、種々の厄難から逃れるよう導きましょう」とお告げをされました。(日本書記による) 大師は、この鹿に菩薩の戒を授け白鹿霊神の神名を與えて当山の鎮守とされました。 それ以来、千百数十年の間、白鹿霊神は『お鹿様』あるいは『夢の白鹿霊神』と呼ばれ、信仰を集めて参りました。 毎年11月3日には白鹿霊神祭として柴燈大護摩供法要を厳修しています。 不動寺は昭和41年まで大阪市北区兎我野町にありました。
柴燈護摩道場
当山では、毎年11月3日に鎮守白鹿霊神祭を行い、護摩道場に於いて、柴燈大護摩供並びに火壇勧頂(火わたり)を修行致しております。 柴燈大護摩とは、山伏修験の行者が大地に炉を作り、薪を組み上げ、柴を炊いて修する護摩法です。
英霊墓
戦後、遺族がお迎えに来られた遺骨は返還し、お迎えのない遺骨はすべて英霊堂に安置し、朝夕に敬弔感謝の祈りを捧げてまいりました。しかし、昭和20年6月1日の空襲によって、当山諸堂宇はすべて灰燼に帰してしまいました。 旭照和尚は、焼け跡から遺骨を収集し、仮安置所を作りました。その後も遺骨送還の途中安置所の活動を継続し、約3000柱余りの遺骨は、昭和26年1月に再建された英霊堂に安置されました。合わせて、大阪大空襲の戦災被災者遺骨も納められました。 以来、当山では大東亜戦争開戦日の12月8日に英霊総供養法要を行い、また、毎月8日の護摩法要において恒久平和を祈念し続けています。
納経所・寺務所
西門近くにある建物で、北側に観音堂を隣接しています 不動寺は近畿三十六不動尊霊場ならびに摂津国八十八ヶ所第八番札所です。仏像ガチャガチャもあります。