不動寺の諸堂
本堂
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不動明王(ふどうみょうおう)
大日如来の化身 として、明王のなかでは最高の位を与えられ、また 五大明王の中心でもあります。
不動明王は大日如来の命を受け激しい忿怒の表情をし常に火焔の中にあって、その燃えさかる炎であらゆる障害と一切の悪を焼き尽くします。
持ち物 (仏様からのメッセージ)
剣 ・・・・・・ | 種々の煩悩の心を切り3つの心の毒(①貧-欲しい、惜しいの心、 ②瞋-怒りや 恨みの心 ③痴-正しいことが判断できない心)を切りはらう智慧を表します。 |
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索(さく) ・・・ | 私たちが迷いの道に墜ちいらんとするときに、この索で縛って救ってくださいます。 |
大火炎 ・・・・ | 一切の煩悩を焼つくす智慧を表わしています。 |
護摩堂
観音堂
鎮守堂
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龍神(りゅうじん) 【白鹿霊神お前立ち】
龍神のお姿は、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、眼は鬼、あるいは兎、身体は蛇、腹は蜃、背中の鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎、耳は牛にそれぞれ似るという。また口辺に長髯をたくわえ、喉下には一尺四方の逆鱗があり、顎下に宝珠を持っていると言われています。
白鹿霊神(はくしかれいじん) 【当山鎮守】
平安の昔、弘法大師が全国巡錫の折、兎我野(とがの)の地に錫を止め、不動明王を刻まれ当山を開基された、と伝承されています。
その折、仁徳天皇ゆかりの鹿が、大師の夢枕に立ち、「もし私を信ずる人がいるのなら、吉凶禍福の前兆を夢で示し、種々の厄難から逃れるよう導きましょう」とお告げをされました。
大師は、この鹿に菩薩の戒を授け白鹿霊神の神名を與えて当山の鎮守とされました。
爾来1千百数十年白鹿霊神は、『お鹿様』或いは『夢の白鹿霊神』と称して信仰を集めて参りました。
毎年11月3日には白鹿霊神祭として柴燈大護摩供法要を厳修しています。
不動寺は昭和41年まで大阪市北区兎我野町にありました。
日本書記に兎我野での仁徳天皇と鹿の記述があります。
柴燈護摩道場
阿弥陀堂
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不動寺は平安時代(弘仁)より大阪市北区兎我野町に所在し昭和四十一年当地に遷移されました。
昭和の初頭からの戦争で、戦没者の遺骨が外地より帰還され、その遺骨送還の途中安置所として、当山境内を提供した寺録が残っています。
当時の住職藤澤旭照師は、外地より帰還された戦没者の遺骨を、大阪駅・大阪港・大阪各地の駅舎に奉迎し、不動寺を一時安置の場としお世話をしておりました。
英霊墓 |
その後、お迎えに来られた遺骨は遺族の方に返還し、お迎えの無い遺骨はすべて英霊堂に安置し、朝夕に敬弔感謝の祈りを捧げてまいりました。
しかし、昭和二十年六月一日の空襲によって、当山諸堂宇は悉く灰燼に帰してしまいました。
旭照和尚は、焼け跡より遺骨を収集し、仮安置所を作り、その後も遺骨送還の途中安置所の活動は継続し、約三千柱余の遺骨は、昭和二十六年一月に再建された英霊堂に安置されました。
合わせて、大阪大空襲の戦災被災者遺骨も納められました。
以来当寺では、大東亜戦争開戦日十二月八日に英霊総供養法要を行い、また、毎月八日の護摩法要においては、恒久平和を祈念し続けています。
平成二十三年、英霊堂を再建し、先人に思いをはせながら、今日の平和に感謝をし、ご回向を捧げたいと願うものであります。
合掌